「7月5日大災害予言」修正の波紋と防災意識の高まり
「7月5日に大災害」予言の作者「何かが起きる日ではない」と軌道修正 新たな著書出版
https://news.yahoo.co.jp/articles/8a3dd5ef76b21ae12fc9eec3e83ecc436f6f3d6b
目次
- 1: たつき諒氏「7月5日大災害予言」軌道修正とその影響
- 2: もしも“予言の空振り”が防災文化を育てたら?(ないない?)
- 3: この話題についてネットの反応は?
- 4: ふもとあさとの読むラジオ
たつき諒氏「7月5日大災害予言」軌道修正とその影響
漫画家のたつき諒氏は、著書『私が見た未来 完全版』で示唆した「2025年7月5日に大災害が起きる」という予知について、今月出版の新著で「その日は何かが起きる日というわけではない」と軌道修正した。これにより、日付を特定した予言の信頼性に改めて疑問が呈されている。
この予言は、過去の東日本大震災を的中させたとされる記述や、2021年に見た夢に基づくとされ、特に香港の著名風水師の発言と重なって注目を集めた。その影響で、「7月に日本で地震が起きる」との噂が拡散し、訪日旅行のキャンセルや航空便の減便といった経済的な影響まで生じた。気象庁は日時を特定した地震予知は科学的根拠に基づかないとし、注意喚起を行っている。
今後の注目点としては、科学的根拠のない情報との向き合い方や、そうした話題がきっかけとなって防災意識が高まる可能性をどう生かすかが問われる。月5日が近づく中、冷静な情報の受け止め方と日常的な備えの重要性が一層求められている。
もしも“予言の空振り”が防災文化を育てたら?(ないない?)
もしも2025年7月5日の朝、何も起きなかったにもかかわらず、全国の防災アプリが一斉に「備えをありがとう」と通知してきたら? コンビニには「備蓄ありがとうセール」が並び、駅では「無事でよかった音楽祭」が開催される。人々は非常食を分け合いながら、笑顔で“備えの日”を祝う。
予言が外れたことに安堵しつつ、「それでも備えておいてよかった」と誰もが実感する一日。そんな“空振り”が防災意識の向上につながるとしたら——
こんな展開が現実になったら、ちょっと感動的ですよね。
この話題についてネットの反応は?
ポジティブ派
予言が話題になったおかげで、防災意識が高まったのは良いことだと思う。
たつき諒さんの本、フィクションとして読むと面白い。夢って不思議だなあ。
備えを見直すきっかけになった。こういう日があるのも悪くない。
ネガティブ派
科学的根拠のない予言で不安を煽るのはやめてほしい。
経済にまで影響が出てるのはさすがに問題では?
無責任な情報が拡散されると、正しい防災知識がかすんでしまう。
ふもとあさとの読むラジオ
さて、ここからはスタジオに戻りまして、私たちのトークパートです。改めまして、アシスタントの琳琳です。
はい、そしてパーソナリティのふもとあさとです。いやぁ、先ほどの特集、なかなか考えさせられましたねぇ。
予言って聞くと、つい眉唾で見ちゃうけど、実際に人の行動や経済にまで影響が出るってのは、やっぱり無視できない力があるんだなぁと。
そうですね。特に香港の観光客のキャンセルや航空便の減便など、現実的な影響も出ていますし、気象庁も「日時を特定した地震予知は不可能」と明言しています。
でもね、こういう話題がきっかけで「非常食見直したよ」とか「家族で避難場所を確認した」って声もあるんだよね。そういう意味では、予言が“空振り”でも、備えが“当たり”になるなら悪くない。
まさに備えあれば憂いなしですね。ところで、こういう社会現象って、どう受け止めたらいいのか…ロン、どう思う?
ワン!呼ばれて飛び出てロン登場!
今回のような“予言”が拡散される背景には、SNSの影響力や不安心理の連鎖があります。人は「確実な未来」を求めたがる生き物ですからね。
でも、科学的根拠のない情報に振り回されるのではなく、「備えること」そのものをポジティブに捉える社会になれば、情報リテラシーも防災力も一緒に育つと思いますよ。
さすがロン、頼りになるなぁ。じゃあ、もし7月5日が何もなかったら、どうなると思う?
そのときは「備えありがとうデー」にして、全国で非常食を持ち寄ってピクニック!…なんて展開もアリかもしれませんね。空振りを祝う文化、ちょっと素敵じゃないですか?
それ、いいですね!「無事でよかった音楽祭」とか、私も司会したいです(笑)
うん、予言に振り回されるんじゃなくて、うまく“使う”くらいの余裕があってもいいかもしれないね。
さて、皆さんはどう思われましたか?番組へのご意見・ご感想、お待ちしています!
このあとは、リスナーの声をご紹介する「ふもとのポスト」コーナーです。引き続きお楽しみに!
ワン!ロンも待ってるよ〜!
まとめ
予言の真偽にかかわらず、冷静な情報の受け止め方と日常的な備えの重要性が、今あらためて問われている。
