《ヒグマと闘った69歳男性》──壮絶な実話と“もしも”の仮説

「クマがどう俺を食べるか見届けなきゃ」顔を噛まれ“約70針”縫う大けがに…ヒグマと闘った69歳男性が語る“退院後につらかったこと”

https://bunshun.jp/articles/-/83177

顔を噛まれながらも素手で応戦し生還した山田さんの実話と社会的課題を解説。

目次

  • 1: 命がけの格闘──ヒグマに襲われた69歳男性の実話
  • 2: SNSの反応──称賛と疑問が交錯する声
  • 3: もしも、ヒグマが“顔”を記憶していたら──仮説ストーリー
  • 4: ラジオ形式トーク(ふもとあさと&仲間たち)

命がけの格闘──ヒグマに襲われた69歳男性の実話

クマがどう俺を食べるか、見届けなきゃと思った」──そんな言葉を残したのは、北海道・標茶町の猟師、山田文あさとさん(69)。年10月、山中でヒグマに襲われ、顔を噛まれ、右手にはクマの歯形が残るほどの重傷を負いながらも、素手で応戦し生還した。縫合は約70針。まさに命がけの格闘だった。

この事件の背景には、ヒグマの人里進出がある。近年、北海道ではクマの出没件数が増加し、住宅地や農地への侵入も珍しくない。過疎化によって山と人の境界が曖昧になり、猟友会の高齢化や人手不足も深刻だ。山田さん自身も「昔はもっと人がいた」と語るように、地域の“守り手”が減っている現実がある。

今回の事件は、単なる「クマに襲われたニュース」では終わらない。山田さんは退院後も神経麻痺やリハビリに苦しみ、生活再建の支援も十分とは言えない。さらに、報道の中には「クマに勝った男」といったセンセーショナルな表現も見られ、本人の苦悩や社会的背景が置き去りにされがちだ。今後は、被害者支援の制度整備や、報道のあり方にも目を向ける必要があるだろう。

SNSの反応──称賛と疑問が交錯する声

山田さんの壮絶な体験は、ネット上でも大きな反響を呼んだ。「命がけで闘ったなんて本当にすごい」「冷静さが信じられない」といった声が相次ぎ、彼の勇気冷静な判断力に称賛が集まっている。特に「腸を掴んで逃げた」というリアルな証言は、映画のような衝撃とともに、多くの人の記憶に刻まれた。

一方で、報道の扱いに違和感を覚える声も少なくない。「“クマに勝った男”って、そんな軽い話じゃない」「制度が機能していれば、そもそもこんなことにはならなかったのでは?」といった批判も目立つ。クマ対策が個人任せになっている現状や、被害者支援の不十分さに対する不満が噴出している。

こうした反応は、事件の“美談化”に対する警鐘でもある。命がけの体験を称える一方で、それをエンタメ的に消費してしまう危うさ。そして、山間部の高齢化制度の限界といった社会構造の課題を、改めて浮き彫りにしている。山田さんの証言は、ただの「すごい話」ではなく、私たちが見直すべき現実への問いかけでもあるのだ。

もしも、ヒグマが“顔”を記憶していたら──仮説ストーリー

もし、ヒグマが人間の顔を記憶し、仲間に「この顔は危険だ」と共有する能力を持っていたら──そんな仮説を立ててみると、山田さんの存在は“ヒグマ界の警戒対象”になっているかもしれない。森の中で顔認識が行われ、「あいつは腸を掴んで逃げた男だ」と語り継がれている世界。ちょっと怖いけど、ちょっと面白い。

そんな未来では、登山者たちが“ヒグマに顔を覚えられないようにフェイスメイクを施す時代が来るかもしれない。迷彩メイクフェイスペイントがアウトドアの定番になり、「今日はクマ避けメイクで行こう」なんて会話が交わされる。SNSでは「#ヒグマ対策メイク」がトレンド入りし、メイクブランドが“クマに優しい色味”を売り出すかもしれない。

もちろん、これはあくまで仮説。でも、動物との距離が近づくほど、人間側の工夫も進化する。こんな展開が現実になったら、ちょっと怖いけど…皮肉ですよね

ラジオ形式トーク(ふもとあさと&仲間たち)

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