札幌市で幼児3人を自宅に放置、両親逮捕と地域の通報が命を救う
「お父さん!お母さん!と泣き叫んでいる…」幼児ら子ども3人を自宅に"6時間"放置…30歳父親と26歳母親を保護責任者遺棄容疑で逮捕…泣き声聞いた住民の通報で発覚…3人は熱中症疑いで搬送<北海道札幌市>
https://news.yahoo.co.jp/articles/6415ba38103635e3bb21b801fecbe5bdd9c28eb3
目次
- 1: 札幌市で保護責任者遺棄容疑により両親逮捕、幼児ら3人が熱中症疑いで搬送
- 2: もしも泣き声が誰にも届かなかったら
- 3: この話題についてネットの反応は?
- 4: ふもとあさとの読むラジオ
札幌市で保護責任者遺棄容疑により両親逮捕、幼児ら3人が熱中症疑いで搬送
北海道札幌市で30歳の父親と26歳の母親が、幼児を含む子ども3人を約6時間自宅に放置したとして、保護責任者遺棄容疑で逮捕された。事件は近隣住民の通報により発覚し、子どもたちは熱中症の疑い
猛暑による室温上昇が子どもにとって命の危険となった点、そして育児環境の不備や保護者の知識不足33.9℃共働き世帯の増加
今後の注目点としては、
- 地域による児童虐待の早期発見・防止体制の強化
- 保護責任者遺棄の法的扱いの見直し
- 育児支援制度の充実
が挙げられる。近隣住民の通報が命を救った今回の事例は、地域社会の見守りの重要性を改めて示している。
もしも泣き声が誰にも届かなかったら
もしも、あの日ベランダで泣き叫んでいた子どもたちの声が誰にも届かなかったら——。夕暮れの札幌、熱気に包まれたアパートの一室で、幼い兄妹が互いを抱きしめながら「お父さん、お母さん」と叫び続ける。通報がなければ、彼らはどうなっていたのか。もしも近隣住民が「騒音」として無視していたら、ニュースは「悲劇」として報じられていたかもしれない。
こんな展開が現実になったら、あまりに皮肉ですよね。
この話題についてネットの反応は?
ポジティブ派
通報してくれた近隣住民、本当にありがとう。子どもたちの命が救われたのはあなたのおかげです。
地域の見守りって大事だと改めて思った。こういう連携がもっと広がってほしい。
命に別状がなくて本当によかった。子どもたちが安心して暮らせる環境になりますように。
ネガティブ派
6時間も放置?信じられない。親になる資格あるのか。
泣き叫ぶ子どもを想像するだけで胸が痛む。これは虐待では?
買い物と食事のために外出って…言い訳にならない。子どもを守る責任を放棄してる。
ふもとあさとの読むラジオ
さて、ここからはスタジオのふもとあさとさんとともにお届けします。あさとさん、よろしくお願いします。
はい、どうも~。いやぁ……今の解説、聞いてて胸がギュッとしましたねえ。泣き声が“命の声”だったっていうのが……ほんと、忘れちゃいけないですよ。
事件は北海道・札幌市で起きました。3人のお子さんが、およそ6時間にわたって自宅に放置され、熱中症の疑いで搬送。幸い命に別状はなく、通報した近隣住民のおかげで早期に発覚しました。両親は逮捕され、保護責任者遺棄の容疑で取り調べが進められています。
これはね、事件そのものはもちろんですが、「気づく力」や「声を上げる勇気」が試される時代になってるなあ、と。昔なら“おせっかい”って言われたかもしれない。でも今はそれが命を救う。
確かに、通報した住民がいたからこそ救われた命ですよね。
こういう話になると、あいつにも聞いてみたくなるなあ……ロン!どう思う?
はい、ふもとさん。事件発生当時の札幌市の気温は33.9℃。これは7月としても異例の暑さで、室内での熱中症リスクは急激に高まっていたと推定されます。特に、乳幼児は体温調整機能が未発達なため、密閉された室内は非常に危険な環境です。
なるほど、専門家的な視点、さすがだねえ。でもロン、もしリスナーだったらこのニュースどう感じる?
もし私がリスナーのひとりならば、「なぜ助けを求める声が届いたのか」に感謝しながら、同時に「声が届かない可能性」も想像して怖くなりますね。そして、「通報しようか迷ったとき、踏み出す一歩が命を救うかも」と覚えておくと思います。
いやぁ~、ロンってほんとに賢い。しかも情緒もある(笑)
あさとさん、では最後に、育児支援の観点からも一言いただけますか?
そうですね。この事件を「親の資質」だけで語ってしまうと、根本的な解決にならない気がします。共働き家庭の増加とか、頼れる先がない不安とか……そういう「社会的背景」にも目を向けていくことが、今必要なことなんじゃないでしょうか。
ありがとうございました。では次のコーナーは、ロンと一緒に「お役立ち最新テクノロジー講座」です!
その前にCMをどうぞ~
まとめ
地域の通報が子どもたちの命を救った今回の事件は、育児支援や見守り体制の重要性を社会全体で再認識する契機となった。
